最後にしようかな
ネット回復からの小ネタ(重に高村ネタ)でダラダラ長文もこれで最後にしようかな、と。
今日は話があちこちへ飛びます。
広島市と長崎市が共催でオリンピックを誘致するそうな。これは東京よりはるかに実現の可能性が高いと思う。というより実現してほしい。世界中の一人でも多くの人が、広島と長崎の惨劇を知り、今の日本を見、その逞しい復興を目の当たりにしてほしいから。日本の現状が「逞しい復興」からまたずいぶん路線が外れつつあるのは心配ではありますが。
日本人というのは子供のころから被爆の日、終戦の日というのを結構脳みそに焼き付けられて育ちます。それでも、広島の原爆記念館は私には言葉もないほど衝撃だった。二度目に原爆記念館を訪れたときは外国人を引き連れてだったので「どうでしたか」と訊ねたら「そんなに気安く感想を求めないで」と怒られた。それほどにその人は衝撃だったということ、そしてその事実に私はまた愕然とした。日本人も、世界中の人も、ここを訪れるべきだ、と。ぜひとも実現してほしいです。
話題ガラリと変わって。軽々しい話に転じます。
徹平好きですら一部の友人から「人にあまり言うな」と釘を刺される私ですが、最近、めちゃくちゃ気になる俳優さんがいます。なんと・・・三浦春馬くん。
ついに10代キタ(笑)。
きれいな顔です。惚れ惚れします。
今日、日曜の朝っぱらからネカフェに行ってコミック読んできました。第1巻を読んだときなんとなくよぎった思いが確信になりました。
長身、40代、若々しい美貌、家事が得意、法曹界、ゲイ(←これ重要!)
これで、誰を思い浮かべます?
加納ですよねっっっ!!??
実は『きのう何食べた?』というコミックの主人公、筧です。
ああ、私は筧に加納を重ねていたのか・・・。そうだったんだね・・・・・・・・・・・・・・・orz。
高村薫を、加納を知らなくとも十分面白い漫画です、ぜひご一読。
そして加納から高村ネタへ。
今、私の手元には図書館で借りてきた本(not高村)があります。それも気にしつつ、結局読破したマークス文庫版。
高村さんという人は単行本から文庫になるとき大幅な改稿をする、というのは知っていました。我が手(→李歐)は有名すぎるとして、私は神の日、黄金を抱いて跳べを単行本文庫本それぞれ読んでいて、合田シリーズ文庫本は未読でした。
マークス・・・・・・・・・確かに違う、全然違う。
高村さんの文庫版への改稿は「手に取りやすく、後々へ残るもの」という思いがある、とどこかで聞いた気がします。確かにその意思は伝わってくる。文庫本てのは、通勤通学の電車であったりちょっとした休憩などの間に読みやすい。その分集中力なり割ける時間なりが限られる。だからわかりやすく、誤りのない理解を、というのはわかる。
だがしかーーし。
次作『照柿』が文庫未読なので断言はできませんが、わかりやすく読者に伝えるのと「すりよる」のは違う気がする。マークスに限らず、高村さんの小説、いや、小説と言うフィクション、さらにいえば架空のファンタジーは、行間を読む作業がまたおもしろいはずだ。
あるページで唐突にでてきた一行に「あれ、こんなの伏線あったっけ」と過去のページと記憶をたどる作業。かなり唐突に結論だけが提示される意味深な会話をあれこれ詮索して自分なりに解釈つける作業。そんなエネルギーをそぐことが正解だろうか?読者をさまよわせてこそ高村さんの真骨頂ではないのか。
大体、加納があからさまに合田に手を差し伸べるただのタレこみ屋と化しているではないか。さりげなく合田を助ける心憎い兄ちゃんカムバーーーーック!!!と加納ファンの私は心で叫んだ。
加納と合田のなんともいえないもどかしい距離感。合田第1作マークスではそれがかなり軽くにおわされる程度。照柿で、あれ?気のせいか?と思い、LJでおいおいおいーーーと思う、そんなコースター気分がっ!!マークス文庫本では直球。
違う、兄ちゃんはこんな人じゃない・・・。
加納ファンとしてはなんとも複雑な文庫版でした。
ほかのキャラもそうだ、文庫版はわかりすぎてつまらない。
偏差値70超の東大テキストを偏差値50の庶民向けに解読したような(ほめてるのか?)。
わかる人にはわかる、わからない人は迷え。
そんな突き放したクールな感じが激減した文庫版なのでした。
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